建築論(2)

メモ
■建築の各存在様態相互間の相関
 建築に内在する各様態の建築論的問題をふまえ、次はそれらの係わり合いの問題について。
2つずつ組み合わせるとそれらは
1物体性と効用性(物理的実存在と事物的実存在)
2物体性と芸術(物理的実存在と現象的実存在)
3物体性と超越性(物理的実存在と超越的実存在)
4効用性と芸術性(事物的実存在と現象的実存在)
5効用性と超越性(事物的実存在と超越的実存在)
6芸術性と超越性(現象的実存在と超越的実存在)
に分けられる。まずはそれらを扱い、適宣3つ4つの組み合わせを論じる構成。
1については建築論の領域外のまったく実際に即した問題に属し、また、3・5のように超越性は効用性はもとより物体性と係わりをもつことはおそらくない(理知や感覚を超えたところにあるため)。このとき6については超越性の問題を論じた時に触れているのでここでは省略するとしている。そうしたうえで、2と4について論じようと試みる。
2・4の核心について、端的に言うとそれらは「力学的に合理的な構築はそれ自体美しいか」「実際の役に立つ建築はそのこと故に美しいか」と言い表すことができる。
注:ここではさらに物体性について、建築が実存在するということは、物体-建築が単に瞬間空間内に位置を占めるということを意味するだけでなく、それがある時間持続するという合目的性を含むということができると言っている。
 こうした問題が現実に建築の製作または観照において浮かび上がるのは、建築における芸術的なものと合理的なものあるいは合目的とが観念的にはっきり区別され、かつ両者の何かぎくしゃくした関係が意識されるようになる近代以後だということを確認した上で、芸術性と合目的性(物体性と効用性)の関係のあり方を、「芸術性と合目的性の相関関係を認めない立場」と「芸術性と合目的性の相関関係を認める立場」の相反する2つの立場から考察する。
①芸術性と合目的性の相関関係を認めない立場
この立場は、その論理的根拠をカントの学説に置く。カントのいう美の自立性の確立は、一般に建築が強さ・用・美の3つの要求に発する形象がそれぞれ独立性を保ちながら共存して、一つにまとめられるという理論を肯定する。しかし、このとき、3つの要求の強さはどの建築にも一様であるわけでないことに注意すべきである。カント流の見地に立つと建築において構造があらわであるほど、実用的機能が明らかなほど、それの美を把握することが困難となる。これでは、究極的に建築は美的建築であるか実用建築であるかの2つのジャンルに分類されざるをえないこととなる。
②芸術性と合目的性の相関関係を認める立場
 ①の立場の問題にあるように、製作における建築家の意識の中では、美と強さ・用とは分離しえない状態で一つの作品に凝縮している。一方でカントの理論を観念的に受け入れても、実践的にはそれに疑いを挿し挟まずにはいられないのである。ゼムパーはカントの観念的系譜に対して、唯物論てい立場に立って、美を一般美ではなくて、美が現実に発現している様態とし、物的条件(「使用目的」「材料」「製作器具・製作過程」)によって決定されるとしている。その後、ギョイヨーは美と強さ・用についてカントの理論から導かれるこの両者の関係の否定でも、ゼムパー唯物論的見解がもたらす美的認識における物的因子の優位でもなく、人間の生という奥深いところで本質的にそれらが結びついていることを無理なく肯定し理論づける。
 ヴァーグナーゼムパーの論を引き継ぎ、建築の美しい形を成立させるモメントを美の外にもとめるだけでなく、強さ・用から導こうとする。これは機能主義的建築観に受け継がれる。サリバンは「形は機能に従う」(生物学の法則に従って造形されなければならないとした時点で比喩的ではあったが)と主張した。機能主義はその後グロピウスによって定着される。グロピウスのそれは、それまでが用を美に従属させていたのに対し、美を用に従わせなければならないと言っている。
 コルビュジエは芸術性と合目的の結びつきについてギュイヨーのそれとは異なり理性の上に打ちたてようとした。造形一般(機械などの技術の造形にしろ、芸術の造形にしろ)は数の上に成立すると考える。コルはこうして芸術性と合目的の結びつきを肯定する一方で、なお建築の終局目標を芸術においた(つまり同時に純粋美においてさえその内容と形式を数によって結びつける)。機能そのものから生まれる美を超えたところにある純粋な美を肯定しているのである。
 それとは別に、モリスは関係性の問題に異なる経路から近づく。芸術を人生に悦びを与えるものと理解し、その点に芸術の価値を置き、万人に悦びを分かち与える民衆芸術でなければならないとする。用と美の二元論を肯定しながら、芸術を社会現象として捉える立場から、この両者が人生の同じ念願であるという根拠に立ってそれの一者性を主張する。
注:機能主義-事物の存在を、実体として観念的に捉えるのではなく、この作用性において捉え、あらゆる認識を方法論的に機能によって基礎づけようとする主張。
注:グロピウスの機能主義-美の原因を端的に用に帰する唯物論的見解と異なり、造形は物的因子とともに精神的因子を含んでいて、機能は美しい形に先行するが、同時に美しい形態は機能を予測し、含み、両者はたがいに浸透し合って分かち難い一者を形成すると言う。